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1/700 日本陸軍機1 第1クオーター 完成しました

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 1/700 日本陸軍機1、32機セットのうちの最初の8機が完成しました。今回は普通の濃緑色で統一して塗装しました。私、日本軍機は結構な数を作ったのですが、震電と秋水以外の機の見分けはいまひとつ自信がありません。なので例によって少しでもキットのモチーフとなっている機体に愛着をもつためWikipediaの抜書きと画像検索のコピーを貼っておきます。作業自体は可もなく不可もなくといった感じで、つつがなく終わりました。




1)二式戦闘機 =愛称、(鐘馗、しょうき)。
運用開始1941年、生産数1225機。従来の陸海軍戦闘機とは異なり旋回性能よりも速度を優先させており、優れた上昇力、加速力、急降下性能をも備えた新時代の優秀機であったが、反面、(日本の戦闘機としては)旋回性能と航続距離は低く、翼面荷重が大きい。

二式




2)四式戦闘機 =愛称、(疾風、はやて)。
初飛行1943年、生産数約3500機。九七式戦闘機(キ27)、一式戦闘機「隼」(キ43)、二式戦闘機(二式単座戦闘機)「鍾馗」(キ44)と続いた、小山悌技師長を設計主務者とする中島製戦闘機の集大成とも言える機体で、速度・武装・防弾・航続距離・運動性・操縦性および生産性に優れた傑作機であった。

四式




3)三式戦闘機 =愛称、(飛燕、ひえん)。
初飛行1941年、生産数2750 - 3153機 (諸説あり)。ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。防弾装備のない試作機は最高速度590km/hを発揮したが、防弾装備や燃料タンク等を追加した量産機では鈍重な戦闘機になり下がり、アメリカ軍に「もっとも食いやすい戦闘機」という印象を与えている。

三式




4)一〇〇式司令部偵察機。
初飛行1939年、生産数1742機。開戦前から敗戦に至るまで帝国陸軍の主力戦略偵察機として使用された。本機は後の「戦略偵察機」の先駆的存在であり、また、そのスタイルの美しさから「第二次大戦で活躍した軍用機のうちで最も美しい機体の一つ」とも称された。

100式




5)一〇〇式重爆撃機 =愛称、(呑龍、どんりゅう)
初飛行1939年。生産数813機。陣地爆撃を主目的として大戦中の中国戦線及び南方方面で活躍した。また輸送機としても使用された。レシプロエンジン(空冷二重星形)を左右両主翼に搭載した双発機。燃料タンクは防弾式であり、機銃も6門搭載している。最大速度もI型で470 km/h と優速。爆弾搭載量は最大1,000 kg。

呑龍




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